5.8Km 2022-12-16
ソウル特別市カンナム区ヨンドンデロ513
1979年3月に開館して以来、グローバル展示会と国際会議の開催を通じた国際交流の場を設け、グローバルビジネスインフラを完備した最高の展示文化、観光の名所としてアジアマイスビジネスの中心に位置づけられています。コエックス(COEX)は地上1階から4階まで計4つの展示場と50の会議室、最高の利便施設や公演場、オフィス空間を備えています。また、2009年「Coexアーティウム」開館、2014年「coex MALL」リニューアルオープン、江南MICE観光特区指定、2020年環境にやさしいデジタルメディア「XPACE」ローンチ、2021年「AV DROP」および「Coex Live」導入等を通じた環境にやさしいMICEテクシステムを備えたグローバル文化・ビジネスプラットフォームに進化、発展しています。
5.8Km 2025-06-30
ソウル特別市カンナム区ヨンドンデロ513
トレンドと文化の流れをリードするスターフィールドcoex MALL(コエックスモール)はファッション、グルメ、文化、エンターテインメントまでシティライフの全てを提供します。また、スターフィールドcoex MALLの中心に位置するピョルマダン図書館は憩いと出会い、本で交流する開かれた文化空間となっています。
5.9Km 2024-02-27
ソウル特別市カンナム区ポンウンサロ86ギル30 1階
添好運(ティム・ホー・ワン)は江南(カンナム)COEXの近くにある点心専門店です。ミシュランガイドにも掲載されました。代表的な点心は新鮮な海老を使った海老の蒸し餃子で、ベイクドチャーシューバオ、ポークと海老の焼売、ポークのワンタン香辣黒酢、ほうれん草と海老の蒸し餃子、鶏肉ときのこの蒸し物、香港風鶏肉の甘酢炒め、青梗菜、空心菜もあります。近くにCOEX、奉恩寺(ポンウンサ)、宣靖陵(ソンジョンヌン)があります。
5.9Km 2024-03-15
ソウル特別市チュン区ウルチロ13ギル19
+82-2-2274-1040
満船(マンソン)ホープは、乙支路(ウルチロ)のスケトウダラの干物屋通りに位置しているビアホールです。路上の簡易テーブルで干し姫タラやフライドチキンなどのつまみにビールを楽しむ人々で夜遅くまで賑わう場所でもあります。冷たい生ビールと干し姫タラ焼きを辛いソースとマヨネーズにつけて食べながら気軽にビールを楽しむにはピッタリの場所です。つぶ貝の和え物と卵焼きも人気メニューです。
5.9Km 2025-01-06
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ185
昌慶宮(チャンギョングン)は世宗大王(セジョンテワン)が王位を退位し上王となった太宗を迎えるため、1418年建てた寿康宮(スガングン)がその始まりです。以降、朝鮮王朝第9代の王・成宗(ソンジョン)の施政になり、第7代の王・世祖(セジョ)の后・貞熹王后(チョンヒワンフ)、世祖の子で即位することなくこの世を去った徳宗(トクチョン)の后・昭恵王后(ソヘワンフ)、第8代の王・睿宗(イェジョン)の后・安順王后(アンスンワンフ)を迎えるために明政殿(ミョンジョンジョン)、文政殿(ムンジョンジョン)、通明殿(トンミョンジョン)を建て、昌慶宮と命名されました。
昌慶宮には辛い歴史が数多くあります。壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の時には建物が全焼し、 李适(イ・グァル)の乱や丙子胡乱(丙子の乱)の時にも禍を受けました。朝鮮王朝第19代の王・粛宗(スクチョン)の時代の仁顯王后(イニョンワンフ)と張禧嬪(チャン・ヒビン)、朝鮮王朝第21代の王・英祖(ヨンジョ)の時代、英祖の次男で米櫃に閉じ込められ死に至らしめられた思悼世子(サドセジャ)の逸話などが昌慶宮に残されています。
史跡・昌慶応宮は日帝強占期に日帝により昌慶苑に格下げされ、動物園になってしまいましたが、日帝の残滓をなくすべく韓国国民の努力により1987年から古の本来の王宮の姿を取り戻しました。
弘化門(ホンファムン)、朝鮮王朝の正殿の中で最も古い建物である明政殿(ミョンジョンジョン)、通明殿(トンミョンジョン)、養和堂(ヤンファダン)、春塘池(チュンダンチ)などがあり、陸橋を渡って宗廟(チョンミョ)とも行き来ができます。
主な文化財 - 弘化門(宝物)、 明政門(宝物)、明政殿(宝物)、通明殿(宝物)、玉川橋(オクチョンギョ宝物)
5.9Km 2022-12-26
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ185
「弘化門(ホンファムン)」は昌慶宮の正門に正面3間、側面2間の重層寄棟屋根で多包式で作られています。石造の基壇の上に、原型の礎石を置いており、門楼下層は両開きの板門が設置され、出入りできるようにし、上層は板床の楼が設置されています。大韓民国の宝物に指定されています。当初1484年に建てられましたが壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際に焼失し、1616年に再建されました。