6.8Km 2022-07-26
ソウル特別市 中区 武橋路 17-13
ソウル特別市中区(チュング)武橋洞(ムギョドン)のソウル市庁舎裏手の路地にある以北(イブク)ソンマンドゥは手作り餃子、キムチ冷や汁ご飯で有名な店です。おすすめの料理は平壌式手作り餃子やキムチ冷や汁ご飯です。冷やしたキムチスープにご飯を入れて食べるキムチマリパプは、元々、北韓の料理でした。他に餃子の寄せ鍋やピンデトクなどもおすすめです。
6.8Km 2021-08-27
ソウル特別市 鐘路区 東崇キル 86
+82-2-744-0701
広い空間と屋外テラスでブランチを楽しむことができます。おすすめはスパゲッティです。ソウル特別市のジョンノ区に位置したカフェ(コーヒーショップ)です。
6.8Km 2024-01-26
ソウル特別市チョンノ区トンスンギル86
ピザの本場、イタリア・ナポリの本格的な味が楽しめる大学路のグルメ店。マルゲリータブッファラをはじめ、クラシックなピザもすべて石窯で焼いています。パスタやサラダもシェフの手を経て作られるので味はお墨付き。シェフは2019年にローマで開催されたピザワールドカップの優勝者で、『カン食堂 シーズン3』(2019)や『ランニングマン』(2010~)など各種バラエティ番組にも出演して注目され、ますます有名になりました。ここだけのもっちりして淡白な生地の食感を味わえます。
6.8Km 2024-03-12
ソウル特別市チュン区セジョンデロ99
+82-2-737-6444
徳寿宮(トクスグン)の正門・大漢門(テハンムン)前で行われる「ソウル王宮守門将交代儀式」は、王宮の正門を守る守門将と守門軍の勤務交代儀式を再現したものです。朝鮮時代の守門将を管理する官庁を守門将庁といい、従六品の守門将や参下、守門軍などで編成され、王宮の警備や通行人の監視、門の開閉や王宮の内外を巡察する業務を行っていました。ソウル王宮守門将交代儀式は、火曜日~日曜日の午前11時・午後2時の1日2回行われます(月曜日休演)。観光客が参加できる体験イベントも行われており、ソウル王宮守門将交代儀式の始まりを知らせる太鼓を叩く「開式太鼓体験」や、守門将になってみる「私も守門将」、そして朝鮮時代の伝統衣装を試着できる「伝統服飾体験」に参加することができます。
6.9Km 2021-05-24
ソウル特別市 中区 武橋路24
店で直接作る麺のもちもちとした食感とゆでた牛の胸肉の深い味わいが逸品のコムグクス(コムグクシ/牛肉スープ麺)と国産牛の胸肉を茹でた味覚を刺激するスユク(茹で肉)がこの店のおすすめです。そのおいしさは韓国内はもちろん、日本にまでうわさが広がり、連日食べに来る人で行列ができます。一緒に出てくるおかずも味加減がちょうど良く、これを食べるのも外せない楽しみです。
6.9Km 2025-01-06
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ185
昌慶宮(チャンギョングン)は世宗大王(セジョンテワン)が王位を退位し上王となった太宗を迎えるため、1418年建てた寿康宮(スガングン)がその始まりです。以降、朝鮮王朝第9代の王・成宗(ソンジョン)の施政になり、第7代の王・世祖(セジョ)の后・貞熹王后(チョンヒワンフ)、世祖の子で即位することなくこの世を去った徳宗(トクチョン)の后・昭恵王后(ソヘワンフ)、第8代の王・睿宗(イェジョン)の后・安順王后(アンスンワンフ)を迎えるために明政殿(ミョンジョンジョン)、文政殿(ムンジョンジョン)、通明殿(トンミョンジョン)を建て、昌慶宮と命名されました。
昌慶宮には辛い歴史が数多くあります。壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の時には建物が全焼し、 李适(イ・グァル)の乱や丙子胡乱(丙子の乱)の時にも禍を受けました。朝鮮王朝第19代の王・粛宗(スクチョン)の時代の仁顯王后(イニョンワンフ)と張禧嬪(チャン・ヒビン)、朝鮮王朝第21代の王・英祖(ヨンジョ)の時代、英祖の次男で米櫃に閉じ込められ死に至らしめられた思悼世子(サドセジャ)の逸話などが昌慶宮に残されています。
史跡・昌慶応宮は日帝強占期に日帝により昌慶苑に格下げされ、動物園になってしまいましたが、日帝の残滓をなくすべく韓国国民の努力により1987年から古の本来の王宮の姿を取り戻しました。
弘化門(ホンファムン)、朝鮮王朝の正殿の中で最も古い建物である明政殿(ミョンジョンジョン)、通明殿(トンミョンジョン)、養和堂(ヤンファダン)、春塘池(チュンダンチ)などがあり、陸橋を渡って宗廟(チョンミョ)とも行き来ができます。
主な文化財 - 弘化門(宝物)、 明政門(宝物)、明政殿(宝物)、通明殿(宝物)、玉川橋(オクチョンギョ宝物)
6.9Km 2022-12-26
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ185
「弘化門(ホンファムン)」は昌慶宮の正門に正面3間、側面2間の重層寄棟屋根で多包式で作られています。石造の基壇の上に、原型の礎石を置いており、門楼下層は両開きの板門が設置され、出入りできるようにし、上層は板床の楼が設置されています。大韓民国の宝物に指定されています。当初1484年に建てられましたが壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際に焼失し、1616年に再建されました。