4.2Km 2024-05-16
ソウル特別市ソンブク区ファランロ76
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4.2Km 2021-04-06
ソウル特別市 中区 トゥェギェロ62-1
+82-2-752-3337
雨の日にぴったりの店です。ソウル特別市のジュン区に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは三色チヂミです。
4.2Km 2023-04-06
ソウル特別市 東大門区 薬令中央路26
+82-2-969-9241
「ソウル薬令市韓医薬博物館」は、韓国最大の韓方薬流通中心地であるソウル薬令市に位置しています。韓国の伝統韓医薬関連の遺物や韓方薬剤などの展示を行い、優れた韓医薬文化を継承・保存・発展させるため、2006年9月に設立されました。2017年10月ソウル薬令市韓医薬博物館はソウル韓方振興センター2階に移転し、伝統韓方のすばらしさを広報するとともに多様なプログラムを開発し、韓国を代表する韓方文化空間として定着しています。
4.2Km 2021-08-05
ソウル特別市 東大門区 薬令中央路10
「ソウル薬令市場(ソウルヤンニョンシジャン)」は韓国の代表的な韓方薬取引の中心地です。1960年代初め20店舗ほどだったこの地域の韓方薬市場が急成長し、それまで350年の伝統を誇っていた大邱薬令市を追い抜き、今では韓方医院と薬剤商、薬局など1000余りが集まっています。各種薬剤は産地からすぐ取り寄せられるため値段も安く品揃えも豊富です。
4.2Km 2020-12-24
ソウル特別市 西大門区 統一路107-39
「思潮(サジョ)チャムチ」は、マグロマニアに人気のお店で、多様な種類と新鮮な味を楽しめるのが特徴です。マグロスペシャルには最高級の部位を使っており、ここでしかみられない珍しい飾りつけも目を引きます。また基本メニューとして出されるカジキのくわ焼きやマグロの兜煮、焼マグロ、天ぷらなどは珍味中の珍味です。
4.2Km 2024-03-15
ソウル特別市チュン区セジョンデロ40
+82-10-2802-2133
「把守(パス)」とは都城を守ることで、朝鮮時代の重要な軍礼儀式のひとつでした。朝鮮時代の都城守備は最も重要な問題であり、特に宣祖の時代に壬辰倭乱や丙子胡乱などを経験し深刻な問題として台頭しました。把守儀式は、都城門の開閉儀式(通行禁止と解除)や巡羅儀式などを連結した朝鮮時代の軍礼儀式で、中央軍制にあってその位置や役割などを考慮すると宮城を守衛することと同じく重要な儀式とみることができます。
4.2Km 2024-05-17
ソウル特別市 中区 南大門市場4キル 21
「南大門市場(ナンデムンシジャン)」は、子供服、レディースウェア、メンズウェアをはじめとして、繊維製品、台所用品、贈答品、民芸品、土産物、食品、輸入品、日用雑貨、アクセサリーなど、日常生活に必要な全てのものを買い揃えられる韓国最大の総合市場です。
南大門市場の特徴は何といっても、品質の良さと安さです。その秘密は流通の構造にあります。一つ一つのお店は小さいのですが、それらお店が自分で商品をつくって販売するという独立した業者であるため、消費者と生産者の距離が縮まり安さにつながっています。
夜11時に開店し、早朝4時にもなれば全国の小売商が市をたてます。韓国人のこのパワーみなぎる光景は、他のどこの国でも見られないことでしょう。外国人観光客が必ず訪れるという南大門市場は、世界の中のショッピング観光名所とも言えます。
4.2Km 2023-01-18
ソウル特別市チュン区セジョンデロ40
崇礼門(スンニェムン)は朝鮮時代初期の1396年に初めて築造され、1398年2月に重建された建造物です。この門は朝鮮時代、漢陽都城(ハニャンドソン)の正門として四大門の中で南側に位置し、南大門(ナムデムン)とも呼ばれました。また1448年にも大規模な修繕が行われています。以降、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)や丙子胡乱(ピョンジャホラン=丙子の乱)の際にも南大門は被害を受けませんでした。
最初に建造されたときには門の両側に城壁が繋がっていましたが、1908年に道路を作るためにその城壁が崩され、城門のみ残り、陸の孤島のようになってしまいました。しかし2006年になり復元工事を実施、現在のような崇礼門となりました。1952年文化財保護法により崇礼門はそれまで宝物に指定されていたものを変更、国宝に改めて指定されました。
木造の建物の平面は下層・上層が5間、側面2間の大きさで、木造建物の下層・一階部分の床は木造建物の下にある虹霓門(ホンイェムン)の上にあたる中央間のみ井桁に組んだ板の間があるだけで他の部分は土の床となっており、建物2階の上層は板張りの床となっています。扁額の筆者については諸説ありますが、1614年に編纂された韓国最初の百科辞典といわれる「芝峰類説(チボンユソル)」には朝鮮時代初期の王族で太宗の長男で世宗大王の兄にあたる譲寧大君(ヤンニョンテグン)が書いたものであるという記録が残っています。四大門のうち他の門の扁額は横書きとなっていますが、崇礼門だけは縦書きになっています。これは「崇礼」の二文字が五行思想で火を意味し、景福宮と相対している冠岳山(クァナクサン)の火の勢いを抑えるためといわれています。
現存する城門の建物として韓国でもっとも規模の大きい南大門は典型的な多包様式の建物で、典型的な木造建造物の手法を取り入れている、韓国の建築史において重要な建物のひとつです。1997年初頭、ソウル特別市では崇礼門の景観をより一層素晴らしく演出するため、ライトアップ設備も新たに設置しました。また地元自治体のソウル特別市中区(チュング)は2005年10月から通路補修工事とあわせて崇礼門中央のアーチ型の門・虹霓門入口など5ヶ所の地表調査を実施、朝鮮時代の世宗大王の施政の時と思われる下部石築基壇や一番下にある基礎となる石・址台石(チデソク)、地面に敷き詰める平たい石・薄石(パクソク)、 門の両側にある柱が立てられた基礎の石・門枢石などを発掘しました。これらの発掘されたものは1907年ごろ南大門を貫く路面電車の線路を敷設する際、門の周囲に1メートルほど盛り土を行ったため基壇部分や路面に敷き詰められていた薄石などが完全に埋められ、それが発掘作業により露出したものと思われると発表しました。発掘を行った中区では人々が地表面から1.6メートル下にあるこれら遺構を見学できるよう、中央通路の試掘部分をそのまま残し、観覧施設を設けました。崇礼門の中央通路がある虹霓門に沿って見学することができます。
しかし崇礼門は2008年2月10日、放火による火災で焼失してしまいます。その後、5年3ヶ月の工期を掛けて復元作業行い、2013年に一般開放に漕ぎ着けました。2013年5月1日には崇礼門復旧を告げる「告由祭」が執り行われました。
崇礼門復元には忠清南道(チュンチョンナムド)泰安(テアン)の安眠松(アンミョンソン)が使われました。安眠松は高麗時代から王宮や船を造る際に使われてきた木材で、この復元作業で崇礼門の垂木、柱、屋根などに使われています。