1.2Km 2025-01-06
ソウル特別市チョンノ区ユルゴクロ99
昌徳宮(チャンドックン/史跡)は、1405年、景福宮(キョンボックン)の次に建てられた別宮です。正宮の景福宮の東側にあることから「東闕」とも呼ばれていました。1411年に錦川橋、1412年に敦化門が建立され、朝鮮第9代王・成宗の時代から多くの王がここで過ごし、本宮の役目を果たす王宮となりました。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際には火災が起きましたが、これは朝鮮第14代王の宣祖が義州に身を逃れたことに激怒した民衆が王宮に火を放ったために起こったものです。その後、昌徳宮は1611年に朝鮮第15代王・光海君により再建され、自然のものと人の手が入ったものの調和が図られる王宮となりました。現在では数多くの観光客が訪れる場所としてして有名で、仁政殿、大造殿、宣政殿、楽善斉など数多くの文化財が王宮の至るところにあります。
昌徳宮は、1997年12月にイタリア・ナポリで開かれたユネスコ世界遺産委員会で水原華城とともにユネスコ世界遺産に登録されました。
昌徳宮の後苑(フウォン)は、朝鮮第3代王・太宗の時に造られたもので、王をはじめ王族の憩いの場として使われていました。後苑は、北苑、禁苑とも呼ばれ、朝鮮第26代王・高宗の治世以降、秘苑と呼ばれるようになりました。後苑は小高い丘や谷間といった自然をそのまま生かし、必要最小限に人の手を加えた韓国有数の庭園となっています。芙蓉亭、芙蓉池、宙合楼、魚水門、暎花堂、不老門、愛蓮亭、演慶堂などをはじめ数多くの亭子(東屋)や泉が各所にあります。特に秋の紅葉や落葉の時期が最も美しいと評判です。
※重要文化遺産:仁政殿(国宝)、敦化門(宝物)、仁政門(宝物)、宣政殿(宝物)、熙政堂(宝物)、大造殿(宝物)、璿源殿(宝物)、イブキ(天然記念物)
1.2Km 2021-07-14
ソウル特別市 中区 退渓路 130
+82-2-752-7111
ソウルプリンスホテルは、ソウルの繁華街・明洞(ミョンドン)にあり、交通アクセスが便利です。明洞をはじめ南大門市場、東大門市場といったショッピング街がそばにあり、ショッピングを楽しむ観光客をはじめビジネス客も利用しやすい都心型ホテルです。
ホテルの前に聳える南山(ナムサン)は青々と茂る緑が多い場所で、ホテル周辺の雰囲気もすがすがしい環境となっており、散歩やジョギングなども楽しめます。
客室100室の他、レストラン、ビジネスルームなど各種施設も完備しています。リモデリングにより一層格調高く、品格あるホテルに生まれ変わったプリンスホテルでは、外国人観光客向けの日本語・英語による様々なサービスをはじめ、ビジネス客のためのプロジェクターや電動スクリーンを完備するカンファレンスルーム、ビジネスをサポートする最新パソコンやプリンター、インターネットを無料で利用可能です。
1階ロビーには座り心地のよいソファーやインテリアでコーディネートされた専用レストルームを24時間開放しています。またホテル~ソウル駅及び空港バスのバス停(世宗ホテル前)間の送迎サービスを無料で実施しています。
この他にもお体が不自由な方向けの専用客室や家族連れにおすすめの韓室(オンドル)、ビジネス客向けの個室がある客室などもあります。現代的な感覚でアレンジされた客室インテリアは様々な目的でソウル明洞を訪れるお客様にやすらぎを提供します。
1.2Km 2020-12-24
ソウル特別市 中区 トゥェギェロ22ギル5
+82-2-755-7558
日本の家庭料理専門店です。代表的なメニューはカツ丼です。ソウル特別市のジュン区に位置した和食専門店です。
1.2Km 2021-09-01
ソウル特別市 鐘路区 大学路1キル 10
+82-2-762-0593
各種スンドゥブ料理が味わえるお店です。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。おすすめは海鮮スンドゥブです。
1.2Km 2024-06-19
ソウル特別市チュン区セジョンデロ21ギル53
光化門(クァンファムン)クッパは、シェフのパク・チャニイルさんが営む豚肉クッパの専門店で、クッパには黒豚のそとももと肩肉のみを使用しています。看板メニューは豚肉クッパで、透明感がありながらも深い味わいが特徴です。その他にゆで豚肉、豚血入りスンデなども販売しており、本格的なクッパの味とコクのあるスープに定評があり、多くの人が訪れています。
1.2Km 2021-04-02
ソウル特別市 中区 明洞2キル 49
+82-70-7762-5858
なかなか体験できない中華料理の専門店です。ソウル特別市のジュン区に位置した中華専門店です。おすすめは担担麺です。
1.2Km 2024-08-28
ソウル特別市チョンノ区サジクロ161
「光化門(クァンファムン)」は景福宮の南門であり、宮城の正門です。光化門は国王が頻繁に出入りする正門でもありましたが、景福宮が朝鮮の王が住む宮廷であったため他の宮殿の正門に比べて規模と格式の面でもとても雄大で華麗でした。また東西の塀の終わりに各東十字閣と西十字閣が設置され、朝鮮5大宮殿の中で唯一、宮門形式となっています。
景福宮の創建当時には特別な名前はなく、宮制によって「午門」と呼ばれたり、1395年に鄭道伝(チョン・ドジョン)によって「正門」と名前を変えましたが、1426年に景福宮を修理するとともに、集賢殿(高麗以来、朝鮮初期にわたって宮廷に設置された学問研究機関)によって「光化門」と名づけられました。
韓国戦争の時に爆撃を受けて門楼が壊れて石垣は弾痕だらけとなりました。1968年、破壊された門楼を建て直して再建されましたが再建した光化門は鉄筋コンクリートで造られ、もとの場所よりも14.5メートルほど後方に建てられました。このように原型を失った光化門を復元しようと2006年から光化門の撤去作業は始まり、3年8ヶ月の復元工事を経て2010年8月15日に工事が終了しました。
花崗岩でずっしりとした基壇を造り、その上に2階の門楼を建て、基壇にある3つのアーチ型の出入り口は景福宮が朝鮮の宮殿であるという威厳を見せています。